1996年イタリア旅行の記録

2005.2.26公開
Il ricordo del 1996
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行程図

1995年の旅行ですっかりイタリアに魅せられた私たちは、翌年の1996年にふたたびこの地を訪れた。
この年の旅も、相変わらず前年と同じ旅行会社の団体旅行。個人旅行も当然視野に入れてはいたが、当時は、まだまだ団体旅行の安心感に大きく依存するところがあった。やはりイタリア語はおろか英語すら満足にしゃべることができないことがコンプレックスとなっていた。
つまりは冒険をするほどの勇気がなかったと言うことである。

そんな私たちではあったが、昨年と違ったのは、団体旅行としてすでに決められいた行程の中に個人的なプランを盛り込むという、いわば「個人のわがまま」を聞き入れてもらい、なにかとスケジュールに制約の多い団体旅行の中で多少の自由を味わったことである。
これはなにより、私たちの要求を認めてくれた添乗員の裁量によるところが大きく、その意味では好意的な対応をしていただいた添乗員には大変感謝している。
結果的に、今回の小さな冒険が大きな自信へとつながり、その後の旅行ス
タイルに変化をもたらした。

前年同様ミラノを皮切りにいくつかの都市を回りながらローマへ向かうという
忙しい行程ながら、ミラノ、フィレンツェ、ローマで各丸一日フリータイムが設
定 されていた。
フリータイムと言う、少しばかりの冒険をおかす事の出来る機会の多寡を選
択 要素としていた私たちにとって、まさにうってつけのツアーだった。
団体旅行でありながら、ツアー参加者の主体性に任せる部分が大きく残され
て いたこの企画、おかげで十分に旅の楽しみを満喫することが出来た。

一方で、飛行機の乗り継ぎでは辛酸を味わった。

価格面の有利さから迷わず選択した関西空港発パリ行きのコース。
関東に住まう 私たちにとっては羽田空港から関西空港までのアクセスが加わり、
さらには パリからのミラノまでのジュネーブ乗り継ぎでのアクセス。飛行機好きの
人間にとっては堪えられない旅のはずである。しかし、あいにく私たちはその種の
人間 では なかった。
飛行機の遅れや待ち時間がもたらす肉体や精神への悪影響。目先のわずかな
損得に拘ったあげくの選択、支払った代価は存外に大きなものだった。


この旅行での 忘れられない思い出。

初めて乗ったイタリアのローカル列車。
3人掛けのシートが向かい合うように配置され、 個室のように仕切られた客室。
ある部屋では、見知らぬ物同士がひざを相交え、まるで旧知の友であるかの
ようにお互いのプライベートについて語り合っている・・・
また、ある部屋では、作り付けの棚をその大きなリュックで占領させている若者
たちがトランプ遊びに興じている。

そこで出会った一人の人間。
お互い持ち合わせている言語が異なるため、会話がままならない。それでも、
身振り手振りを交えて何とか自分自身を伝えようとしてくれた。

旅でのふとした出会いは忘れられない思い出になる。
そう、他人からすれば、 それは本当に他愛のないワンシーンなのかもしれない。
そうだとしても、私の心の中には決して小さくはない何かが残る。
その小さくないかけらがふとした日常に転がったりする。そして、不意にあの
瞬間が 蘇ってくる。時間というフィルターを通してより鮮明に・・・
切ないノスタルジーが胸の中で交錯する・・・

"GIAMPI、COME STAI?(ジャンピ、元気にしてる?)
わたし、少しイタリア語がわかるようになったよ。
またどこかで会えたらいいね。"


1996.9.6〜1996.915
日程 スケジュール ホテル
1日目 羽田発→関西国際空港→パリ・ドゴール空港→ジュネーブ空港→ミラノ  LEONARDO DA VINCH HOTEL
2日目 ミラノ市内観光 LEONARDO DA VINCH HOTEL 
3日目 ミラノ→ベローナ→ヴェネツィア CONTINENTAL HOTEL
 
4日目 ヴェネツィア→ラヴェンナ→サンマリノ共和国→フィレンツェ GRAND HOTEL MEDITERRANEO
5日目 フィレンツェ GRANDHOTEL MEDITERRANEO
6日目 フィレンツェ COLUMBUS HOTEL
 
7日目 フィレンツェ→ローマ CIR ERGIFE PALACE HOTEL
8日目 ローマ CIR ERGIFE PALACE HOTEL
9日目 ローマ→フランクフルト空港→関西空港→羽田着  
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